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過去の理念ブログ

古希

2012/07/06

今日、古希を迎えた。
しみじみ良くここまで頑張って長生きできたなあー。

東京で生まれ、東京も空襲が激しくなり、
母の実家の埼玉(川越市)に疎開、
そこでも空襲のたび防空壕に何回も避難、
幼な心になんとなく怖い思いが・・・。

 

父は戦死し、終戦後、父の郷里の鹿児島へ、
母は父の弟と再婚し、弟と妹たちが産まれ、6人家族に。

 
鹿児島に来て、まず、困ったのが鹿児島弁の言葉、
今でこそからいも標準語だが、その当時の純粋な鹿児島弁は、ちんぷんかんぷん。
必死で覚えた鹿児島弁、さつま狂句を楽しめるまでになった。

 

独身時代、教員になり地方に転勤のたび、地域により鹿児島弁が異なり面白いと思い、
今では鹿児島弁がすたれないで欲しいとまで思えるようになった。
そして桜島も自分の山と思うほどの鹿児島県人。

 

昭和51年保育園の園長となって35年余り、
人生の半分を保育園で過ごしたことになり、改めて自分で驚く。

 

第1回の卒園生も42歳を過ぎ、卒園児の子どもが卒園して、
そろそろその子どもたちが入園してくる頃かな・・・・・。

 

先日の子育て講演会での藤森先生の話ではないが、
【ホモサピエンスとして永久に生き延びるよう生存戦略を担っているのねと】
今の仕事に誇りを持って子どもたちを見守り続けていきたいと思う。

 

園長 原田

    

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